
太田飛騨守は、斯(ことごと)く首盃を訖(おわ)り、
中川平右衛門、古田喜太郎、萱野五右衛門、佐子野喜三郎、
柴山了可(両賀)、下村平右衛門、牧勘右衛門、宗像小助、
中屋宗説等の中川家の名士、
並に田原詔忍、船木次郎衛門、幸助右衛門、菅野言右衛門、
山上九右衛門、吉良数馬、川崎久之丞、不破茂左衛門、
芥川義重等諸浪士の首を悉く臼杵城の塀上に掛け並させ、
之を中川勢に示したので秀戌は大に驚き、急に臼杵城を攻め落して
諸士の恨みをハラさんとの軍議整へたる所に、
※太田飛騨守の決断が下されます。(以下次回)
※それぞれの首に敬意をあらわし、臼杵城の塀の上に掛け並べさせた、
※御年譜では ・・味方討死ノ首・指物等屏ノ上二出ス・・と表現。
一人ひとりの名前までは書かれていません。
※敵の名のある者は、其の首を打ち落とし、悉く臼杵に送り・・・と
※太田飛騨守は、是で東軍(の中川)に一矢報いたから、これでよしと納得。
自分で戦の幕引きをしたのでしょう。
