
其の他 錦江寺には中川長祐、下村重吉の位牌あり、
福正寺には古田、萱野、仲家、柴山、牧の過去帳がある、
ただ 牧勘助右衛門の死したるは十月三の有屋峠(金山)に於の事なりしは、
前に言へる處であるが、過去帳には十月四日の戰死となし
「烏帽子嶽の渓に戦死す」と記して居る、
是れ何れか眞なりやに惑ねばならぬやうではあるが、
天明六年(1786年)五月 古田廣計、古田廣倫等が
錦江寺、福正寺住僧に質し、
尚ほ 其の当時八十二歳の佐賀関の高家善兵衛といふ老人の説等に問ひしに、
前に記したる如くであつた云えば、
福正寺の過去帳も古きむのが 其の後蟲喰い等により新らしぐ補綴せられたとき
豊州乱記佐賀関軍記等の広く行はれたるものに従ったかも知れぬのである。
※天明6年、古田廣計、古田廣倫等が錦江寺、福正寺住僧に佐賀関の戦い、
古田の先祖や、その時戦死した岡藩士のことなどを聞いた、と書かれて
いますように、古田広計(不染斎)はその後、不染斎随筆にその事を
まとめて記載しています。
※その記録では、佐賀関訪問(墓参)は天明4年から4回記録されています。
次回紹介します。

